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H I S T O R Y - 歴 史
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誕生前夜
その昔、日本に「10円あなきのこ」という、
ドロドロくどくど珍未来的変態ガールズパンクバンドがあった。
女5人、男1人からなるこのグループは、1988年からのアンダーグランドな活動を通して
一部ではカリスマ的存在とも言われるようになる異端児バンドだった。
その音楽とパフォーマンスは誰にも真似の出来ない、
激しく可笑しく特異な物であった。
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7年程関東地方で活動していた彼女らは、
1995年に突如としてニューヨークに活動の場を広げる事になる。
バンドはそこでも見る者に強烈な印象を残していった。
しかし翌年そのニューヨークで、彼女らはバンドの歴史に終止符を打つ。
メンバーのうち3人は日本で、バンドを率いていたヴォーカルの卜部聖子を含む
その他の3人はニューヨークで新しい生活を始める。
「10円あなきのこ」は伝説になった...。
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それから約5年の歳月が流れた2000年暮れ、
「10円あなきのこ」の2回だけのリユニオン・ライブが行われた。
場所は奇しくも解散の地、ニューヨークであった。
日本から駆け付けた2人のメンバーと共に、バンドは変わらぬパフォーマンスを披露、
ライブは大盛況のうちに終えた。
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結成
このライブ時にサポートメンバーとして数曲参加したのが、
以前から「10円あなきのこ」のメンバーとは交流のあったギターリスト竹下潤であった。
そして、5年振りにマイクを握った聖子と、
それまでニューヨークでうだつの上がらない活動をしていた潤は、
このライブの打ち上げで意気投合した。
久しぶりのライブで歌とパフォーマンスの熱が再燃してきた聖子。
そして何か一発ドカンと炸裂する、新しいバンドをやりたかった潤。
ゼラチンの誕生である。
早速二人はその打ち上げの場からメンバー集めを開始。
まずはこのライブ時のイベントの主催者の一人であり、「大家バンド」等のバンドで
長年ニューヨークで活躍して来たスーパー・キーボーディストの関根綾に参加を依頼。
次に世界的に不足しているドラマーを探しにかかり、
多才でさまざま演奏活動を展開する山本裕介に声をかけてみるが、
「俺ベースが弾きたいんだ....」と言う彼にはベースをお願いし、
同時に狙っていた秘密兵器、市川タケシを説得しドラマーとして引き込む事に成功。
ここにニューヨーク史上最強の日本人ロックバンドが完成する。
2000年10月の事であった。
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始動
無敵のメンバーを集めたはいいが、音楽の仕事でアメリカを離れるなど皆多才で多忙。
なかなか活動を始められずにいたが、
メンバーの帰国を待って2001年5月、ついに活動開始。
まず手始めにベースメント・パーティーで3曲演奏。
このゼラチン初お披露目、
5人が初めて顔を合わせてから実にたった5日目の事だった。
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その後立て続けに4本のライブを行ったバンドは、
2001年7月、いきなりデモCDの制作を開始。
2001年9月11日未明、デモ完成。
9/11
テロの影響で足踏みはさせられたが、このデモは各方面で反響を得た。
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第一章完結
その後ライブを重ね、ラジオ出演等も果たしたゼラチンだったが、
キーボードの関根綾が、個人的アジア侵略の為に脱退。
関根綾・ラストライブは2002年5月21日に盛大に行なわれたが、
ゼラチンは貴重な才能を失う。
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第ニ章へ
ワイコという素晴らしい人材を発掘したゼラチンは、
早くも第ニ章へ進む。
強力な新曲と共にライブを重ね、
ゼラチン独自の世界のさらなる発展を追求する。
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2003年、またしても難関にぶち当たるゼラチン。
今度はドラムの市川タケシが個人的ヨーロッパ侵略の為に脱退。
しかし強力助っ人アル・バトロスを迎え、いくつものライブをこなし、
夏を乗り越えた。
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現在
2004年暮れ、アル氏が正式加入。
しばしの充電期間を経て2005年2月にライブ活動再開。
今後は定期的にライブを行なう事うを誓う。
6月に2曲入りデモを発表。
コンピレーションCDにも参加、発表間近。
「ゼラチン祭り」という新しいイベントを開催、
その他イベントに参加など、精力的活動をしていく事を目論む。
年末にはついにフルアルバム制作か。
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